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都市開発の自然資本

まず都市開発が位置する関東平野のことを考えてみると、風、水、緑、大気、土、すべての自然資本の面で、世界で最も恵まれた風土と言えます。

世界的に見ても、人々が集中して住むためには、最高の自然です。

連続した100キロ圏に3000万人というのは、世界では都市開発しかありません。

逆に、こうした豊かな自然資本のおかげで都市開発には集中できる、とさえ言えます。

しかし、そういった豊かさゆえに、社会資本投資をするということに対して、土地だけ分配すれば十分であると考えられてきたわけです。

実際土地だけ分配すれば、雨が降って、自然に緑がはえてきます。

こんな国は、おそらく世界でも非常に少ないのです。

例えば、オーストラリアのパースですと、3年間緑にすればその土地を無料でいくらでもあげますという政策をとっています。

ヨーロッパにしても、これに似た政策があります。

二番目に、歴史的に、都市開発は日本列島の中で開発の場の文化だと思うことです。

上方の都どころという開発の場ではなくて、日本列島の中で開発の場として、実験の場、開拓の拠点としての位置づけの中で都市開発は維持されてきたわけです。

鎌倉時代になぜそういった政策が行われたのか、江戸時代はどうか、そして都市開発の今日がどうかということ、これを日本列島の中で位置づけてみたいと思います。

都市開発の時代

都市開発というのはこれから世界の三大都市開発、あるいは四大都市開発のひとつとして、宇宙船地球号のコックピット(操縦席)の役割を担っていくと思います。

世界金融の場合では三大拠点。

ロンドン、ニューヨーク、都市開発とすでに目に見える形になっています。

しかしそれは金融だけではなくて、あらゆる自然の生態的な管理とか監査とか、そういったものを通して、人間が働いている時間、だれかが地球を管理している、そういった拠点というのがあります。

この三大都市開発の中にいずれ北京が入ってくると考えています。

世界の中で、東西文明を担う都市開発が各々二つずつ地球を監視します。

それが、将来の姿だと思っているわけです。

これからの地球を管理するためには、開発の場の管理からスタートすると考えるわけです。

そういう位置づけとしては、全体の文化の代表ということではなくて、むしろ管理者というのは、常に王様ではなくて、為政者であり、征服者であり、また統括者です。

少なくともそれは神ではない。

そういう位置づけというのが、都市開発に与えられた一つの宿命ではないかと思っているわけです。

そういうことから、都市開発は、まだ神を迎えるには荒れすぎているため今から神の居る場に祭り上げるのではなくて、人間の住む、あくまでも開発の場の拠点として都市開発大改造を考えるべきではないかと考えているわけです。

都市開発の寿命

そういう考え方で、少し都市開発の発展を眺めてみまして、都市開発というのがいかに開発の場であるかということを考えてみます。

世界のほとんどの都市開発を調べてみると、その寿命はおおよそ300年間です。

最初の100年というのが人間の三世代、都市開発が建設され始めていきます。

その次の100年間というのが、都市開発を成熟させ、安定成長させ、残すべきものを残し、壊すべきものを壊していく中で、絵になる都市開発なじみのある都市開発という考な形で、?る方と壊す方とのバランスの中で安した都市開発というのが生まれる。

その次の100年間というのは衰退に向かってしまう。

歴史的に見ても世界中の都市開発がそういう宿命を帯びています。

ほとんどの都市開発は300年で終わっている・あとは・長らえているという状態で、世界の中で、あるいはその地成の中でどんなに覇権を唱えた都市開発であっても大体300年の寿命です。

都市開発の歴史を考えれば、明治維新を契機に都市開発の町から一変したわけです。

徳川家から天皇家へ、京都から都市開発に新しい命が吹き込まれて、都市開発が全く一変します。

その都市開発が今、明治時代を経て、平成に向かって動き出しているわけです。

それがまさに明治100年・、945年ぐらいまでは、都市開発の変革期、世界中を相手に戦い、近代文明の中で、歴史を断ち切った形で日本が都市開発を舞台に、世界の中での位置づけをやり始めた。

世界の中における都市開発の位置づけ、メトロポリスとしての位置づけの土台づくりというのが1945年です。

本格的市民社会

1945年に初めて主権在民の中で、新しい本格的市民社会の都市開発というのがつくられ始める。

成熟した町への発展期というのは、2025年、昭和100年ぐらいまでです。

世界の文化の中ではぐくむべき文化、あるいは捨て去るべき文化とか文明ということがようやく理解できて、これから大人の価値観の中で本格的な町づくりをしなければいけない時期に入っていると思えるわけです。

実は国際社会の中で考えてみれ献現在は、本当に民活ができて、自ら町づくりをやりながら、世界中の富を都市開発が駆使して、都市開発づくりをする非常にいいチャンスです。

その波に乗らないと、大きな世界の中の都市開発、メトロポリスとしての位置づけを失ってしまう。

パリもロンドンもニューヨークもそういった時期を乗り越えて今日の都市開発ができているわけです。

都市開発は三番目の世界の中のメトロポリスの位置づけを今つくれるかどうかという時期にきているわけです。

4全総というのは、この波にのろうとしたものであると言うことができるわけです。

都市開発開発という仕事

私たちメディアプロデュースの仕事はいつも表現したいものが先にあるわけです。


表現したい本音を本音として人に感じさせるには、その間どのようにプランニングをしたり、プロデュースをしたりのメディア機能を活かすネットワークデザインしたらいしかが問題になるわけです。


・・・例えばレストランの場合、メニューの選定があり、そのメニューが生きるようになるためにインテリアもあります。


従業員を選ぶ場合はある程度歳を重ねた黒服の男性がいいのか。


それとも若い女の子がウエートレスでいた方がいいのか。


・・・それによってその店の雰囲気、その店の立地の中での全体の調和の度合い、いろんなものが決まってくるわけです。


それらを全部、ソフトウエアというふうに仮定して行っていますが、これからはどうしても、中味・・・


つまりソフトウエアが最も大切な要素になると思います。

都市開発づくり

第二次大戦後の戦災復興の仕上げ期の中で、ようやく日本の工業力が着実に実を結び始めた時期(1962年)に制定されたのが「全国総合開発計画」です。

おおまかに言えば政府が陣頭指揮をしながら、国民的コンセンサスを得て、自然の山や海を崩して、巨大なコンビナートとベッドタウンをつくって労働集約をした結果として、京浜、京葉工業地帯を中心として、都市開発が列島の機関車の役割を演じるわけです。

平和産業としての都市開発づくりの中での拠点として都市を位置づけたもので、それが結果として都市における人口の集中化を招いたわけです。

激しい首都圏への人口の集中化の結果、そういった工場というのが全国にばらまくべきであるということで、1969年に制定されたのが第二次全国総合開発、いわゆる「新全総」計画です。

その中で、工場の地方への分散を始め、東京湾と同じように、伊勢湾、大阪湾、博多湾、志布志湾から苫小牧に至るまで工場を分散して、工場城下町というのを全国につくる。

工場さえ持っていけば、そこに労働力が張りついて、ベッドタウンができます。

こうして全国に工場を分散した時期が新全総です。

そして、8年後の1977年に発動したのが「三全総」です。

そこで提起されたのが、定住圏構想です。

これ以上地方に分散させる必要はない、むしろ地方の充実を図り、今ある工場とベッドタウンを中心として、そこの定住圏を唱えて、そこでの都市開発づくり、政郷づくりというのが望ましいというものです。

これで第二次産業時代の日本列島の都市開発というのが戦災復興ではなくて、新しい近代都市開発として、定着すると思えたわけです。

それが10年を経ずして「4全総」'が発動された背景には、日本は工場都市、工業国家としてよりは、国際化、情報化の波の中でソフト産業国という形での生き残りしかあり得ないのではないか、という考えです。

産業構造の大転換が行われる中で、コンベンションセンターとか、文化施設、教育施設等の基盤整備を行おうというものです。

しかし、現在ではまだ産業構造の転換の後に、どういう都市開発、どういう職場が生まれるのか、どういう都市開発の基盤整備が必要なのかが明確ではありません。

しかもそのために何をやっていいのか、公共公益投資として、あるいは民活の投資のあり方としては何をやっていいのかわかっていないというのが今の状態ではないかと思います。

巨大な水運網によって支えられた時代

インフラストラクチャーとは、スープラストラクチャーに対する言葉、即ち上物に対する下物の意味であり、基盤にあたります。

都市開発にインフラストラクチャーが整備されはじめたのは、たかだか江戸時代にすぎません。

農業社会の江戸時代では、すべて第一次産業によって都市開発の維持が行われたわけで、この時代のインフラストラクチャーというのは、灌概のための農業用水であり、物流運搬のための運河でありましたから、都市開発城を中心に運河がクモの巣のように張られました。

巨大な都市開発は常に巨大な水運網によって支えられた時代、農業用水の確保、水運の確保というのが第一次産業時代のインフラストラクチャーであったわけです。

徳川幕府がその基盤整備をするために大変な努力をしたわけです。

当時の関東平野の約5割は不毛の地であり、荒れ地であった、あるいは沼か湖か川かわからない土地が大半を占めていました。

それを開墾しながら、三百万石の土地を築いた背景は、巨大なインフラストラクチャーの投資によるわけです。

この時代の民衆というのは封建社会で一拠点居住、職住一体で朝から番まで、生まれてから死ぬまでその土地で働き続け、周りを開墾していく。

こういった第一次産業時代、一拠点、職住一体化と、農業用水、あるいは水運の基般皿整備が第一次産業時代の都市開発の繁栄を促した。

ところが、明治維新を経て、日本が第二次産業化を始めた段階で、これが一転した。

第二次産業

第二次産業というのは、過去に地球上に蓄えられた化石エネルギー、あるいは他国の資源を使って物を生産するという労働集約社会時代です。

それが明治100年間ひたすら工業用水、火力発電所、港湾、交通、物流、こういった物を動かす、物を加工する、そのために人間が集まってくるという、二拠点居住戦略。

つくるところはつくるだけ、休むところは休むだけという職住分離型というのが近代都市開発生活であるということで、巨大なベッドタウンと巨大な工場コンビナートをつくって、その間を通勤幹線で結んだ。

通勤幹線、巨大なベッドタウン、巨大な工業コンビナート、工業コンビナートのための巨大な工業用水、あるいは港湾、物流、交通、火力発電、といったものに対して、財政投融資を含めた国家的な投資で国民のコンセンサスを得てつくられ始めた。

これが明治100年までの日本の近代化戦略であったわけです。

ところが今日、そういった基盤整備に関しては、アジアの開発途上国で行われつつある一方、アメリカ、ヨーロッパは、すでに50年前から第二次産業から第三次産業化社会へ入っていたわけです。

都市開発と移設

日本は欧米に50年遅れながら、第三次産業社会への拠点づくりを始めたわけで、その場合のインフラストラクチャーとは何かと言いますと、少なくともそれはコンベンションセンターとか、あるいは博物館とか美術館とか、学校教育機関、留学生の施設とか、第二のふるさとづくりを位置づけるとか、そういった文化拠点としての位置づけ、こういったものを充足することによって、世界のリーダーとなる。

いわゆる第三のメトロポリスとしての世界中の文化の移設を都市開発において可能なようにつくり上げる。

例えば、どんどん工場が建って、その後から工業用水とか、火力発電所とか、追っかけ追っかけつくられていきます。

電源立地することが電力会社では出世のコースであり、電気をつくることが出世の道であって、売ることを考えなかった時代の人たちが企業の中枢にいるわけです。

それが一変して、電力を売らなきゃいけない時代、電力のマーケットを開く時代に入っているわけです。

工業用水も同じで、工業用水源のためのダムをつくっても、工業用水は全然使われない。

農業用水も確保されていても実際には全然使われない。

量だけはどんどん増えているわけですが、実際には使われていない。

おそらく民活であれば、あり得ない存在のものが残っている。

そのようなものは、第一次産業時代、第二次産業時代、第三次産業時代におけるスープラストラクチャーとインフラストラクチャーの関係、この差がどんどん開いてきているというのが現在の段階です。

社会基盤整備と都市開発

この下町が物すごい勢いで地上げ屋に追われています。

とくに第4次全国総A口開発計画で工場が移転していくと、下請産業がなくなり、職場が失われていく。

長寿化と職場のなくなることによって、下町がいや応なく地上げ屋に奪われる。

しかも土地代が高くなって、固定資産税、都市開発計画税が高くなりますと、人情だけあっても、そこには住めない人々の集まり、これを生かさなければ両方とも失ってしまう。

ソフトも失い、そこに妙な建築物を建てますと、それそのものが、これからつくられるであろう非常に大切な未来の町の拠点を失ってしまう可能性がある。

ここでもう一回、江戸時代の知恵を我々は使わなければいけない。

その知恵の一つの典型に大岡裁きなんていうのがあるわけです。

これは「三方一両損」という有名なお話であります。

三両拾った入が届け出る、それを返しにきても受け取らない。

それでお上に届けて、お上は」両足して、拾った人と落とした人に二両つつ下さる。

お上は一両損し、拾った人は三両着服すればいいのに二両しか入らない。

落とした人は三両全部返るんじゃなくて二両しか戻らない。

これが大岡の「三方一両損」の裁きです。

改めて「三方一両損」型の社会資本整備というので、公共が一両下町に投資します。

今そこに住んでいる人たちも、そこに住み続けようとすれば地中権と空中権を明け渡す。

新しく参画した人はその空中権や地中権を使う代わりに基盤整備をします。

こういう形で、新しい社会資本を下町でつくり上げる。

下町住民のソフトを生かし、公がインフラストラクチャーをバックアップします。

こういう形での下町開発計画というのが可能ではないか。

東京23区でも実容積率は94%です。

バリの300%、ニューヨークの800%と比較して、東京23区というのは、いかに地表面だけがべったり食いつぶされているかがわかります。

法定容積率は250%。

パリ600%、マンハッタン1500%あるわけです。

都市開発は250%あるのにそれがたった94%しか使われていないというのは、「三方一両損」の施策がないわけです。

パリと都市開発

パリでは実容積100%以上は公的空間に解放しなければならないという。

そういった空間というのは、外国のシティウォールに住んだ人にとっては当然の空間です。

それは個人の使うべき、住むべき空間じゃない。

そういった公的空間こそ国際化とか、市民のコミュニティーがつくられるところです。

こうした見直しをぜひ考えていただきたい。

容積率94%という数字は、民地の地表面に一階建ての建物はびっしり埋まっている状況です。

それは都市開発環境を非常に悪化させます。

高層化して緑をたくさんつくって、地表面をあけていくことの方が都市開発に風が流れて、太陽の熱も十分に入るような、ちょうど京都の北山杉の世界という日本画の世界がありますけれども、高層建築、下町の高層化というのは、日本の風景としては似合うわけです。

深い谷と高い山には高層建築が似合うのです。

今日の下町はぴっちり平家や二階屋が建っております。

工場跡地にかなり高い建物を建ててみます。

高い建物でよければこっちへ移ってもらう。

だんだん移ってくれる。

きれいに移れば、残すべきものを残しながら移り終われば、こういったところを緑にしていく。

しかし、大事な通りとか、お寺とか、商店、そういうものを残していく。

こうやって地表に緑の開放空間をつくり上げています。

もし、それでまずければ、再び高層建築を潰せばいいのではないか、べったりした空間が都市開発以来の伝統であり、また下町の風情とすれば、これに戻ってもいいじゃないかと。

しかし、そのころには東京湾岸が再開発されて、そちらの方にコミュニティが移っていく。

あるいはこの中に住む国際化時代の人々が、この地域のコミュニティの中でなれ親しみ、そのアイデンティティーをいただきながら東京湾ににじみ出していく。

こういうインキュベータ機能が下町の地表面に存在している、こう考えたいわけです。

高層空間

高層空間のことを考えますと、下町の垂直インフラストラクチャーとして、道路の下は公益公共施設というのを必ず公益公共団体がつくりますが、建物に入った瞬間に、エレベーターやバイプラインは、みんな自分でやらなければいけないわけです。

これではみんな水平スプロールしていくに決まっています。

垂直に対しても、垂直国道とか垂直のパイプラインに対しても、公共が一両出してくれる。

そうしますと、空中空間というのはもっとつくられてくるわけです。

こういったインフラストラクチャー基盤というのは、水平基盤から垂直基盤に対しても、公共公益のバックアップが欲しいわけです。

またここで、北山杉の世界と言ったのは、地中に地下系を十分につくり上げる。

地下系というのはインフラストラクチャー基盤なわけです。

こういった高層建築をつくる背景には、地下に必ず水脈があり、根っこが張っているわけです。

そして、地上の下枝を切りはらうように、ピロティーにすることは、風が流れる。

風が流れれば緑が、そして地下水が地下にしみ込んでいく。

こういったエコロジカルなバランスというのが、ブッシュのやぶ林よりは、人手の入った超高層建築空間というのが一つの都市開発の姿、あるいは下町の姿ではないかというふうに考えるわけです。

現在、地表は利用されていますが、地中深いところというのはほとんど使われていません。

日本の場合は、地下30メーター以下の空間はほとんど使われておりませんし、掘るのは容易なわけです。

地下30メーターのところにちゃんとした地盤がありまして、上30メーターというのはやわらかい土が乗っかっているだけですから、実際の地表面というのは地下30メーターに本当の地盤面があると考えればいいわけです。

また下町とは離れますが、「三方一両損」の社会資本整備として例えば、都、心部の再開発で、銀座や丸の内等の都心地域で、空中にペントハウスをつくって、そこに生活空間をつくることを考えています。

現在の容積率約700%の上に、さらに三階建てをつくって1000%にします。

ここに公的住居空間をつくれば、都心だけでも数百万人住める空間が出現します。

すでに現在でもこれらの地域は昼間の照明やエネルギーのインフラストラクチャー基盤、下水のインフラストラクチャー基盤はできていますから、夜に人が住んでも新たにインフラストラクチャー投資をしなくても、現在の施設をうまく使えばできるわけです。

それがなぜできないのでしょうか。

例えば銀座通りだけ取り上げますと、真ん中に居住空間、緑空間をつくりまして、ど真ん中に高層の住居をつくることは物理的には十分できます。

こういった空間をつくるために、今すぐにこれができなくても、地下だけを基盤整備しながら、そこにエネルギーや情報や、そういう基盤整備をしていく。

地下施設をしっかりしておき、地上空間をそれからさわっていく。

この戦略をうまくやったのはパリです。

パりは50年前に地下を十分につくり上げて、そして地表面を開放していくわけです。

ですから、地中と地上につくった分だけ地表面を開放していく。

これが都市開発開放で非常に大事なことです。

下町のインキュベータづくりに成功した例として、ハーバードの教授も言っていますがニューヨークのバッテリーパークの再開発があります。

港湾を埋め立てインテリジェントシティをつくったのはいいが、そこで働く人々がいない。

都市開発を維持するのは、サービス人口と都市開発機能自体を更新したりする2・5次産業という人たちがいて、その人たちが内と外の人々をつなぐ。

精神的にも物理的にも都市開発を支えていく人々。

ちょうどお都市開発のお城を支えた町入のように、国際化が起こったとき、これから世界中からやってくる人々、都市開発の都心の町を支えてくれるためのサービス人口、メンタルな面でも、フィジカルな面でも支えてくれるサービス人口。

実はロボットみたいに単一機能では絶対できないわけで、入間達の心をつなぎながら、物的なものとのなじみをつくってくれるようなサービス人口は下町の中にしかない。

山手の人情のない世界の人々にはそれは体験したことのないものです。

幸いなことに、今下町にはまだそれだけの人口があります。

この人口をもとにして、そこの空間を使いながら、なおかつそれを拠点にして、ウォーターフロント、東京湾への新しい開発が必要です。

ウォーターフロントのアーバンルネッサンス最後に、今アーバンルネッサンスというのはウォーターフロントからと言われております。

世界中のウォーターフロント、港湾施設を中心としたところが第三次産業型に転換しています。

それは住宅、市場、インテリジェントビルディングと言われるような高度なコンベンションセンタi機能を持ったオフィス、それからビジネスホテルやリゾートホテル、そういったホテル機能、こういったものは、海と陸との拠点であった物流拠点の工場、倉庫、港湾施設、こういったところが第二次産業型の物流拠点から、第三次産業型の人間の交歓拠点になろうとしています。

人間の交流拠点になろうとする新しいコミュニティ、交歓の場というのがウォーターフロントに誕生しつつあります。

交歓の場こそ第三次産業の基点だと思います。

その仕掛けをどのようにつくるかというのが、産業構造の転換に伴う都市開発大改造のかぎと思うわけです。

下町のアイデンティティーといいますか、都市開発の持っていた伝統的な生活様式、あるいは人情、これをベースとして、あるいはこれをインキュベータ(保育器)として、ウォーターフロントに新しい世界のメトロポリスをつくる。

日本のメトロポリスというよりも世界のメトロポリスをつくろうとしているわけです。

都市開発設計

東京湾を埋めるか埋めないかという議論があります。


都市開発設計事務所に協力して、東京湾を三万ヘクタール埋める計画に寄与したわけです。


よしあしは別といたしまして、はっきりしていることは、東京湾というのは、最大の自然資本であって、最高の良港だということは明らかな事実です。


これを今の中途半端な技術で開発するのか、それとも子孫のために残しておきまして、もっとすぐれた子孫の技術によって東京湾を開発すべきなのか。


この辺の選択が我々技術者に課せられた課題です。


もう一つは、東京湾の埋立可能限界空間があります。


陸地を守るための河川があり、そうしたものを除けば、いろいろな議論はあるにしても、最大限で6万ヘクタールの埋め立てが可能です。


水面上に陸地をつくるとすれば200億立米あります。


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